江戸時代の最後の年(1868年)から残る橋
岩本橋とは?
岩本橋とは、熊本県と福岡県の県境を西に流れる井手川に掛けられた、二連アーチの石橋です。
石橋は荒尾市の隣、大牟田市櫟野産阿蘇溶結凝灰岩を使用しています。
大きさ
長さ:32m / 幅:4.4m / 径間:12.6m / 高さ:7.4m
八弁の菊花紋と十六弁の菊花紋
岩本橋の橋上の両側に、高さ1mほどの欄干があり、八弁の菊花紋と十六弁の菊花紋などが浮き彫りの装飾がされています。石橋は流れから橋脚を保護するために、中央橋脚の上流部と下流部に水切りがあります。
石橋架橋の歴史
近世以前から、肥後・筑後の国境をつなぐ三池往還という主要道路でした。江戸時代には、岩本藩所が岩本橋の北側付近の台地に置かれます。
それ以降、明治2(1869)年の番所廃止まで人々の井手川の通行を監視されていました。また、軍事的要因により、肥後藩から長く架橋は許されなかった。
架橋が許されず、江戸時代では川幅十四間(約25m)を歩いて渡りました。そのため、川が増水すると渡れなくなり、旅人の足止めや地元の被害も多くありました。
そのため、藩に出されていた仮土橋(木橋)架橋の切願が、天保4(1833)年8月に許可されました。この同年春、寸志銭九貫300目(今の価格で280万円)を荒尾会所に収めた記録があります。
その後、文久3(1863)年6月に石橋架橋の許可が下り、慶応4(1866)年4月に完成しました。